2009/06/28

東京エスムジカのコピーバンドでライブやった

東京エスムジカの多分日本唯一のコピーバンド「ポレポレ」(エスムジカの曲名から取りました)でライブをやりました。



コピーバンドに対して思っていたこと

コピーバンドって、いまいち「ある曲から選んで、やる」っていう感覚がカラオケに似ている気がして、生産的ではないと言うか、娯楽要素が高いと言うか、自己満足度の高い印象があったので苦手でした。

高校時代、もちろんコピーバンドの経験もあったんですけど、部活(吹奏楽部)が忙しかったので平行は無理だ、と思ってバンドは辞めました。

それと同時に自宅でオールインワン・シンセサイザーにてシーケンサーで打ち込みをして、一人でギターパートだけコピーしたりと「自宅でカラオケを作る作業」「機械とセッションする作業」をぼちぼちやってたんです。

これがもう、なんつうか、むなしかった。

シンセサイザー内に内蔵されている音色は、プロギタリストが作りこんだ音とは程遠く、それこそ通信カラオケで聴かれる「ディストーションギターのような音色」だったり、「オルガンのような音色」だったり、全部がCDから聞える音と程遠かった。

自分のギターも1万円で手に入れたもので、兄の知り合いのギターを持っていた人が「1万だったら売っても良いって言ってる」っていう妙な話から大切な1万円を兄に託して持ってきてもらったもので、非常にひどい状態のギターを頑張って弾いていたのですが、やっぱり憧れの音への距離感はどうにもならなかったのでした。
(ましてや全然お金なかったし、成績悪かったのでアンプを買うお金がなかったので、持っていたアイワのラジカセのマイク端子に無理やり挿して、マイク入力を上げてオーバードライブをかけて鳴らしたりと工夫してました)

そこから「オリジナルにどうしても近づけなくて偽者な感じしか出せないなら、自分のオリジナルを作ったら最初からそれが本物になるわけだ」と思ってから自分で曲を作るように頑張ってみました。

今思うと幼稚な作りではあったものの、単純なスリーコードがむしろRamonesを知らないのにRamonesを思わせるような、そんな曲になっていたので面白いものですね。

そんなこんなでコピーをしなくなり、技術が身につかなくなり(笑)、どんどん技術の差が回りとついてひねくれていったわけです(笑)。




そんなこんなもあったんですけど、かれこれ高校を卒業して10年も経つと、変にひねくれて頑固だった部分も柔和になったのか、コピーはコピーで「新たなる側面が見出せるのでは?」と言った視点が沸いてきたわけです。

カバーっていう視点だったり。


で、自身で組もうと思っていたメンバー募集記事の好きなアーティスト欄に「東京エスムジカ」って書いておいたら連絡をもらって、まぁやってみても良いかも?!って参加したのが上述のバンドなわけです。

そんな時間あったら自身の曲作れや、って思う部分も自身に対してあったのですが、エスムジカの曲でギターが曲中にないものがあって、それのギターパートを考えて合うように弾く、っていう作業は結構勉強になりました。

よく東京エスムジカのライブを見に行っていたので、ギター担当だった永田"zelly"健志が弾いていた様子を思い出しながらパートを考えました。

いやしかし、対バンも全部コピーバンドだったけど、色んな音楽の付き合い方ってあるんだなーと思わされた1日でした。
うまい人もいれば、お世辞にもうまいとは言えない感じの人もいたんですが(すいません、上から目線で・・・)、みんなが音楽を楽しんでいることは一緒で、雰囲気はとても良かったですね。

メンバーが現在妊娠しているので、しばらくまともに活動はできませんが、解散っつうわけでもないのでゆるりと続けていく予定であります。


改めて聴いていた楽曲と向き合う、っていう作業、いいですね!

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